Pナッツのまったりエッセイ

不定期更新の随筆の置き場。

デジタルとアナログ/子供と大人

 先日20歳の誕生日を迎えた。
 日本の成人年齢は18歳に引き下げられたものの、ほとんどの自治体は所謂「成人式」は「はたちを祝う記念式典」などと称して20歳になるタイミングで行うらしい。
 結局は酒や煙草も20歳から解禁となると、実質的に成人年齢は20歳と変わらないのではないかという気もしなくはない。

 まぁそれはさておき、私も20歳になったことで「大人」の仲間入りを果たした訳ではあるが、今一度疑問というか引っ掛かる部分がある。
 それは、「自分は本当に『大人』なのか」だ。

 古くからネタとしても擦り倒されている「子供と大人の違い」という議題については、一度は誰しも考えたことはあるだろう。 
 無数の解が存在する中で、私が最も印象に残っているのが「子供に戻りたいと思ったら大人」というものだ。
 これを聞いたのは多分中学生くらいの時で、なんとなく自分の中で腑に落ちたところがあったと記憶している。

 しかし、いざ高校生くらいの年代になると、色々と現実が見え始め(といっても序の口であるはずだが)、ふと「小学生の頃に戻りたい」と思うのはごく自然なことであろう。
 とするなら、本当の子供と大人の違いというか、実際にはどのタイミングで大人になったと言えるのかが少し引っ掛かるのだ。
 世間的には20歳になったら「大人」の仲間入りとされるが、それにもあまり納得はいっていない感は否めない。
 自身の性格を振り返ってみても、およそ高校生の時からは変わっておらず、特に大人になったという感じはせず、単純にできることの選択肢が広がったような感覚でしかない。

 この疑問というか違和感には、そもそも「子供と大人の境界線は存在するのか」という根本的な問いをぶつける必要がある。
 まぁ社会的には成人年齢という基準はあるものの、実際18歳や20歳になった瞬間に心が成長して大人になる訳ではないだろう。
 そうあってほしくはあるが。
 そもそも心の成長というのはアナログなものであるはずだ。

 アナログとデジタルの違いを正しく理解している人は意外と少ない印象はあるので一応説明。
 アナログとは「連続的な量」を表していて、デジタルは「離散的な量」を表している(この説明で概要は捉えられているはず)。
 例えば、同じ時計でもアナログ時計では針の動きで時間経過を表しているので10分の1秒やそれよりも小さい時間を表現できているのに対し、デジタル時計は基本的に1秒よりも小さい時間を表現せず、数字で時間を表現している。
 アナログは数直線の全体を表せて、デジタルでは整数や小数一つ一つなどの飛び飛びの値しか表せないという認識で大きな相違は無いだろう。

 話は戻って。
 心の成長というのは本来アナログなものであるはずだ。
 生まれてから現在に至るまで連続的に変化していく精神を「年齢」というデジタルな情報で区切るのは適切でないような気がしている。
 そもそも身体の発達の度合いなども個人差はあるはずであり、20歳になった途端身体が成長して酒が飲めるようになるのではない。
 そう考えると、「年齢」という指標は客観的な指標には成り得ても、大人と子供の境界を的確に捉えているとは言えない。
 まぁ制度などの面でそういう基準を決める必要があるという話は置いて。

 そうなると「大人」になったかどうかは結局のところ自己評価で判断するしかないのではないかという感じもする。
 自分が「大人になった」と思えるタイミングで大人になれる。
 これが良い気はする。

 しかし、20歳になったということで客観的には大人であると判断されてしまう。
 このアイデンティティの一致のしなさが小さい生き辛さになっているという心のぼやき。

 いつかは大人になれるのだろうか。