クレジットカードを止められた話
先日クレジットカードを止められた。
現在は解決しているので、なんとなくではあるが、ここに事件の全貌について書き記そうと思う。
話は早速脱線するが、今回の更新は実質2回目であるものの、170日振りの更新らしい。
ちなみにその記事がこちら↓
piinattu-essay.hatenablog.jp
日々様々なことを考えてはいるが、なかなかゆっくり記事を書く機会を取れないので、このような更新頻度になっている。
まぁ自分の考えや体験を整理して書くことが目的ではあるので、特に問題はないと考えている。
話を戻し。
事件の発覚は8月上旬。
サークルで大学に向かおうとしている時に違和感に気づいた。
最近「モバイルSuica」を使い始めた。
「モバイルSuica」はクレジットカードでチャージが簡単にできるため、なかなかに便利である。
ちなみに「Suica」は「Super Urban Intelligent Card」の略ということを最近聞いた。
その「モバイルSuica」で改札を通る前にチャージを使用とボタンを押すも、謎のエラーが発生。
「しばらく時間が経ってから再度お試しください」のようなメッセージの一点張り。
大体このようなメッセージが出るときはサービス側の障害などが原因であると思い、Twitterで検索するも、同様のエラーが出ている人はおらず。
とりあえずサークルに遅れるわけにはいかないので、残り少ない残高で改札を通った。
エラーメッセージの言う通り「しばらく時間が経てば」問題は解決されるだろうという、淡い期待を胸に。
結果から言うと、大学に着いてから数時間経ってもエラーは治らなかった。
電車に乗っている間も何度か試したが、結局残高が増えることはなく、駅員に事情を説明して、運賃と残高の差額を現金で支払うことで出場はできた。
ここまで来ると、原因がどこにあるのか探るほかなかった。
こういうシステムのトラブルの原因を探る手順としてはいくつかレパートリーがある。
まずはエラーコードを検索。
大抵の場合エラーメッセージと共に、それに対応したエラーコードも表示されるため、そのコードで検索すると同じような症状を持った人の記事などが出てくることが多い。
しかし今回の場合は不発。
次にモバイルSuicaのアプリではなくGoogle Payのアプリを経由してチャージを試す。
これも不発。
つまり、少なくともモバイルSuicaのアプリに問題は無いことがわかる。
Google Payに不具合が無いことも検索などで確認。
次に適当なアプリに最低額課金を試みた。
しかしこれも不発。
つまり導き出される答えは、「クレジットカードを止められた」だった。
この事実は想像よりも受け止め難い。
まずは何故クレジットカードが止められているかを考える。
先月の支払いや利用可能額を見ても問題は無い。
つまり考えられる理由は「不正利用」しかなかった。
ある程度原因が予測できたため、クレジットカードの会社に連絡。
調査して再度電話をかけなおすという風に対応されたので、しばらく待機。
そして折り返し電話がかかってきた。
結果は「不正使用の疑いがあったため、自動的にクレジットカードを止めている」とのことだった。
ここで疑問に思ったのが、「何故番号が他人にバレているのか」である。
ちなみに心当たりは無い。
もちろんクレジットカードの情報など、信頼のできるサイトにしか登録しないし、店舗での決済ではタッチを使うことが多いのでスキミングもあまり考えられない。
電話でクレジットカード会社の説明を聞く。
まずは最近のクレジットカードの明細で、心当たりがあるかどうかを確認される。
数件前から遡るも、途中から心当たりの無いサイトへのアクセスが見つかる。
そして極めつけは、バイトをしている時間帯に決済されいた。
つまりは「不正利用」だった。
心当たりが無いのもその通りで、どうやらランダムにカード番号で決済をする不正利用が存在するらしい。
同様の被害に関する記事↓
クレジットカード不正利用、最近カード16桁番号を、ランダムに入手して、... - お金にまつわるお悩みなら【教えて! お金の先生】 - Yahoo!ファイナンス
そして、その決済されていたサイトが、クレジットカードの会社のブラックリスト的なものに載っていたらしく、自動的にクレジットカードを止めていたとのこと。
まずはクレジットカード会社に感謝。
基本的に不正利用は明細を見て初めて気づくパターンが多いらしいので、自動的に止めてくれているのはセキュリティ的にバッチリではある。
そして腑に落ちない点がいくつかある。
自動的に止めるのは良いのだが、連絡は一切無かった。
生活の基盤となっている人もいるクレジットカードを本人の意志で止めたわけではないのにもかかわらず、それについて連絡が無いのは単純に困ってしまう。
使ってみて初めて気づくというのも、なかなかに不便である。
さらに、腑に落ちないのは不正利用されていた金額である。
まさかの「50円」。
少なすぎる。
まぁこの少なすぎるのが手口のミソなのだろう。
まずはこのような少ない金額で試しに決済し、気づかなければ本格的に不正利用するのだろう。
不正利用された金額についてはクレジットカード会社の補償があるので問題ない。
しかし問題が二つある。
まずはクレジットカードの番号が変わることだ。
様々なサービスにクレジットカードの番号を登録しているため、それらがすべて変更になるのは単純に面倒である。
そして個人的な問題として大きいのが「カードのデザインが変わる」ことだった。
私は「欅坂46」のイオンカードを使用していた。
限定デザインである。
しかし「欅坂46」は改名し「櫻坂46」として活動している。
それに伴い現在は「欅坂46」のカードの新規登録は終了し、「櫻坂46」のカードのみとなっている。
そして、電話口でもクレジットカード会社の人は、私のカードを最初から「櫻坂46のカード」と呼称していた。
昨日新しいカードが届いた。
案の定「櫻坂46」のカードであった。
残念であり無念。
これが事の顛末である。
私の過失はおそらく存在せず、誰かの悪意と純粋な運の悪さによって、クレジットカードの番号とデザインが失われた。
クレジットカードを利用している人には、このような事が起こり得ると頭の隅に置いていただければ幸いである。
デジタルとアナログ/子供と大人
先日20歳の誕生日を迎えた。
日本の成人年齢は18歳に引き下げられたものの、ほとんどの自治体は所謂「成人式」は「はたちを祝う記念式典」などと称して20歳になるタイミングで行うらしい。
結局は酒や煙草も20歳から解禁となると、実質的に成人年齢は20歳と変わらないのではないかという気もしなくはない。
まぁそれはさておき、私も20歳になったことで「大人」の仲間入りを果たした訳ではあるが、今一度疑問というか引っ掛かる部分がある。
それは、「自分は本当に『大人』なのか」だ。
古くからネタとしても擦り倒されている「子供と大人の違い」という議題については、一度は誰しも考えたことはあるだろう。
無数の解が存在する中で、私が最も印象に残っているのが「子供に戻りたいと思ったら大人」というものだ。
これを聞いたのは多分中学生くらいの時で、なんとなく自分の中で腑に落ちたところがあったと記憶している。
しかし、いざ高校生くらいの年代になると、色々と現実が見え始め(といっても序の口であるはずだが)、ふと「小学生の頃に戻りたい」と思うのはごく自然なことであろう。
とするなら、本当の子供と大人の違いというか、実際にはどのタイミングで大人になったと言えるのかが少し引っ掛かるのだ。
世間的には20歳になったら「大人」の仲間入りとされるが、それにもあまり納得はいっていない感は否めない。
自身の性格を振り返ってみても、およそ高校生の時からは変わっておらず、特に大人になったという感じはせず、単純にできることの選択肢が広がったような感覚でしかない。
この疑問というか違和感には、そもそも「子供と大人の境界線は存在するのか」という根本的な問いをぶつける必要がある。
まぁ社会的には成人年齢という基準はあるものの、実際18歳や20歳になった瞬間に心が成長して大人になる訳ではないだろう。
そうあってほしくはあるが。
そもそも心の成長というのはアナログなものであるはずだ。
アナログとデジタルの違いを正しく理解している人は意外と少ない印象はあるので一応説明。
アナログとは「連続的な量」を表していて、デジタルは「離散的な量」を表している(この説明で概要は捉えられているはず)。
例えば、同じ時計でもアナログ時計では針の動きで時間経過を表しているので10分の1秒やそれよりも小さい時間を表現できているのに対し、デジタル時計は基本的に1秒よりも小さい時間を表現せず、数字で時間を表現している。
アナログは数直線の全体を表せて、デジタルでは整数や小数一つ一つなどの飛び飛びの値しか表せないという認識で大きな相違は無いだろう。
話は戻って。
心の成長というのは本来アナログなものであるはずだ。
生まれてから現在に至るまで連続的に変化していく精神を「年齢」というデジタルな情報で区切るのは適切でないような気がしている。
そもそも身体の発達の度合いなども個人差はあるはずであり、20歳になった途端身体が成長して酒が飲めるようになるのではない。
そう考えると、「年齢」という指標は客観的な指標には成り得ても、大人と子供の境界を的確に捉えているとは言えない。
まぁ制度などの面でそういう基準を決める必要があるという話は置いて。
そうなると「大人」になったかどうかは結局のところ自己評価で判断するしかないのではないかという感じもする。
自分が「大人になった」と思えるタイミングで大人になれる。
これが良い気はする。
しかし、20歳になったということで客観的には大人であると判断されてしまう。
このアイデンティティの一致のしなさが小さい生き辛さになっているという心のぼやき。
いつかは大人になれるのだろうか。